博士学生のうちに論文は何本書くのがいいのかについて考える

研究生活
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こんばんは。

7月になりました。博士課程2年生も中旬に差し掛かろうとしています。

先日記事にもした、指導教官が忙しくて論文を見てくれない問題が、解決しつつあります(まだ投稿できたわけではない)。あの記事を書いた後も実は本原稿の修正は一切返事がありませんです。ついに痺れを切らした僕は教授に(僕の指導教官は准教授)相談したところ、教授から准教授にかなり強めに注意していただいたみたいで7月中に必ず投稿するとの約束を取り付けました。なんでも教授から「どんな業務よりも優先してやりなさい」とまで言っていただいたらしくボス恐るべしとはこのこと。

ボスは人柄も素晴らしく大尊敬しているのですが、ボスから言われたのは

「彼(指導教官)のためにももっと強く言い続けていいと思う、それで関係が悪くなるようなことなんてあってはならない、彼のためにも言い続けなさい」

こう言っていただいて、これまで人間関係を気まずくしたくない思いから、本心を強く主張することを控えてきた自分を見直し、これからは正しいことはしっかりと主張していきたいと思えるようになりました。

 

さて、それでも結局最初に論文を先生に提出してから半年以上が経ちました。

 

その時指導教官とメールでやりとりをしていた時に僕が返信したメールの内容の一部に以下のような文面があります。

 

僕自身、まとまった研究成果を出来るだけ良い論文に、誰よりも早く出すことが研究者として重要だと認識しています。その考えの下、昨年12月1月にかけて多くの熱量を込めて書いた論文が中々返ってこないことに非常に大きな虚しさを感じていました。

 

僕自身の熱意が今後も指導教員に届くように研究に打ち込み、修正に手間取らせないくらい完璧な論文原稿を仕上げられるように自力をつけていきたいと思います。

 

この論文が大切かどうかについて最近考えていました。すごい研究者の方々が論文が全てではない、インパクトファクターが全てではないなどとおっしゃっているような報道などを聞くと、何を大切に研究すればいいのか人それぞれ違ういう結論に結局落ち着くと思います。

けど僕が今現在、生命科学の分野でよりよい研究者で居続けるためには論文をしっかりと書くことが重要だと思います。より言うと良い論文にコンスタントに投稿し続けられるように研究成果を生み出し続けることが重要であると考えています。

 

僕は修士学生の際に2本論文を筆頭著者で投稿したことで、学振のほぼ間違いなく取れると確信して会社をやめて博士課程に進学する選択をすることができました。実際に学振は取れました。論文を複数出せていたことで連絡をとった先生からもほとんど返事をもらうことができました。それくらい成果を自分の実績として残すことは自分の人生を円滑に進めるために、いろいろなチャンスに飛び込むために自分の武器になります。

 

論文が全てではないという研究者は、例えるならスポーツ選手が試合で勝つことが全てではないと言っているようなものです。そんなものはその世界で一番大切な本質から目を逸らし自己満足に浸っているだけのように思えます。

だから僕自身は(特に博士学生のうちは)論文を複数出せるように研究成果を生み出し続けることにコミットしたいと思っている。もちろんどんなジャーナルでもいいわけではない。生命科学の分野ならば最低でもIF5以上のところに出したいと思っている。

 

今現在2本目の論文を書いています。メインの論文が控えているのでおそらく博士課程で3本は出せることになる予定です(できればこれにもう1本2本セカンドでもいいので加えたいところ)。実は前の大学院である京大の農学研究科博士課程の修了要件は論文3本です。それに対して東大農学生命科学研究科の僕がいるところは修了要件指定がないので論文も書かずに卒業する人がいるほどぬるい。その瞬間、楽なのはいいかもしれないが、卒業後同じ土俵で戦うことを考えたら京大の修了要件に併せて自分を奮い立たせた方がいい。

 

意義のある研究成果をたくさん論文として世に出す。博士課程のうちはそれを重要視してもいいんじゃないかと思っている。ポスドクとかになったらヒットを打ち続けるだけではなくてホームランを狙ったより長期的な研究もしていく必要があるだろう。この時量から質への転換をしていければいいと思っている。

だから今は量に拘る。これは多分間違っていないと思う。

正しかったかどうかは卒業時に判断しよう。

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